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霜華塾 新着情報

2024/8/25 霜華塾 霜華塾についてはこちら
台風予測日、前日は好天気に恵まれ
第三回霜華塾が開催されました。

◇令和6年度第3回霜華塾 鑑定刀
1号刀
若州住冬廣作
2号刀
若狭守氏房作
3号刀
對馬守入道知休常光
裏銘:以南蛮鐡作之
4号刀 脇指
備中守康廣
裏:菊花紋
5号刀 脇指
筑州福岡住是次
6号刀 短刀
左衛門尉氏房


◇講師の解説
1号刀と2号刀の刀は室町後期の片手打ちの刀と、戦国末期、永禄・元亀・天正という慶長新刀直前の刀の姿で、たった約70年で姿が大きく変化する。
この姿を覚えておくこと。3号刀、4号刀、5号刀は石堂派の刀である。

【1号刀】
この刀は当てるのはむずかしい。
姿をよく覚えておくこと。刃長約2尺2分、先反りがあり、鎬を盗んでいる。
刃紋は帽子の焼きが一枚風で、深く焼き下げている。
これはこの時代の備前物や美濃物の共通点で、棟焼もあるのが末古刀の見どころである。
古くは来一派にも棟焼があるが、棟焼のある刀は、焼き直しも多いで注意すること。
刃紋に角ばったところがあり、浅古當麻信長の札があった。高田にもこの姿がある。
刃長が2尺で身幅が頃合、先反りがあり鎬を盗んでいる末古刀の片手打ちの刀の姿を覚えておくこと。

【2号刀】
身幅広めで重ねが厚く、寸法が2尺3寸5分から2尺4寸で先反りが強い。鎬を盗んでいる。
元亀・天正頃の刀の姿である。この姿の刀は、関物では氏貞、大道、備前物では清光、源兵衛尉祐定や、金房や三品系の金道、また同田貫や天正打ちの國廣、政常や綱広にもある。
大切先で身幅が広く樋先が下がっているので南北朝期の太刀と見た人がいるが、南北朝期の太刀にはこのような先反りがない。
氏房の刀は鑑定刀にはなかなか使われないが、刃紋が大のたれに互の目で尖ったところがあり美濃伝であることをおさえておくこと。
美濃風ということで、出羽大掾国路の札があった。
地肌は板目が流れて肌立ち、何となくザングリとしているので國廣の札もあった。國廣にもこの姿のものはある。
氏房の刃紋の特徴は、尖った刃、箱がかった刃、いかつい刃で匂口締まるところと叢沸えで、バラバラになったところがあることを覚えておくこと。

【3号刀】
3号刀、4号刀、5号刀は寛文から元禄にかけて約60年間栄えた石堂一派の作品である。
3号刀の姿は寛文新刀。
すなわち、刃長が2尺3寸から2尺3寸5分で反りが浅く、元先の身幅に差があり、中切先、鎬地の柾目が顕著。
刃紋は焼に高低があり華やかな丁子、蛙子丁子乱れで、帽子は直ぐでたるみこんでおり、淡く映りも出ている。
古一文字と考えた人もいるかも知れないが、古一文字の場合は帽子と刃中に働きがあるはずであり、姿と地金が違う。
この刀には金筋などの刃中の働きがない。
石堂一派の場合は、通常丁子がこずむ物が多い。


【4号刀】
大坂石堂の備中守康廣の刀である。石堂一派は近江の石堂出身で、関ケ原の戦いの後、全国各地へ分散した。
特徴としては、華やかな丁子刃で匂出来、映りを出している。
紀州石堂が大坂へ移動した一派で多々良長幸が有名。
この刀には大坂焼出しがあり、鎬地に近いぐらい刃が高く、帽子が小丸に返る備中守康廣の特徴がでている。
多々良長幸なら帽子は乱れているはずである。
国助や一竿子忠綱や聾長綱などの場合は丁子でも小沸出来となり刃中に砂流しがある。


【5号刀】
福岡石堂の是次の刀である。
丁子が何となく逆がかっている所が見所で、沸がバラつき、帽子が焼下がっている所がある。
彫物があり、逆がかった丁子があると福岡石堂である。


【6号刀】
氏房の最初期の短刀である。
氏房は永禄13年に左衛門尉をもらいその3日後に若狭守に任官しているのでこの短刀は貴重である。刃紋は頭の丸い兼房乱れで、関物には表裏そろった刃もある。
室町時代の短刀はフクラが枯れているということを覚えておくこと。

【執筆:塾生・川端友二】

所感
70年間で姿が変化するを実感できる有意義な出題刀でした。

備前写しを得意とする石堂一派「美しすぎる」という表現がありました。
映りもあり、鎌倉期の映りとの違いをお勉強するに最も良い出題刀です。

信長支配以前の美濃刀匠は(守護大名土岐家)の権力下にあるように、同様に政治的相関がみられる。

【執筆:霜華塾代表・山田】
 
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2024/5/19 霜華塾 霜華塾についてはこちら
少し早い五月雨雲に照りかえすことない緑葉の
美しい時節に令和6年度第2回霜華塾を開催致
しました。

◇鑑定刀
1号刀 小太刀 助次
重要美術品
2号刀 太刀 備中国住次直
金象嵌:毛利康元所持
依此刀利埋忠磨上之
重要美術品
3号刀 なぎなた 無銘
重要刀剣
4号刀 脇指 信濃守國廣
裏年紀:慶長十四年二月日
重要刀剣
5号刀 短刀 左行秀
裏年紀:安政五年八月日


◇講師の解説
【1号刀】
刃長約1尺9寸、中間反り、鎌倉中期の太刀姿。
刃長2尺前後の刀は、小太刀と応永頃の備前の小反り物と応仁の乱以降に作られ鎬地を盗んだ先反りの室町中期のいわゆる片手打ち刀の3つがあるということをおさえておくこと。
1号刀は小太刀である。刃紋は直刃調の丁子、地金はいわゆるちりめん肌で、くしゃくしゃした肌合い、その中に丸くくすんだ澄肌がポンポンと出ている。ナメクジ風の肌合いの中に澄肌があり逆足がある典型的な青江の特長が観うけられる。
青江は鎌倉中期までは、小沸え出来であることをおさえておくこと。


【2号刀】
長大で棒樋がありながらずっしりと重い健全な太刀である。
姿は身幅が広く、元先の差がなく切先が伸びているが踏ん張りがなく南北中期の大摺り上げである。
匂口の締まった少しのたれた直刃で、地金は板目に杢目が流れ、上から見ると澄肌が出ている。
青江は南北朝期に匂出来に変化するが、2号刀は匂口が締まって細く逆足が入っている。
次直は通常短刀では逆丁子なので次吉の札を入れる方もいる。
波紋から真長という札があったが時代が鎌倉中期故に姿が違う。


【3号刀】
生ぶ茎で無銘のなぎなたである。なぎなたや槍は消耗品故にあまり数が残っておらず、鑑定が難しい。
刃紋は映りがあり、華やかな小丁子、蛙子丁子などを交えており吉岡一文字に入れる方があります。
蛙子風の丁子がこずんで、腰開き風の互の目なども観て取れ長光風なので、備前物の南北朝の刀鍛冶に札を入れれば満点であろう。
3号刀は本阿弥家9代の光徳刀絵図に法城寺国光極めで載っており、三好釣竿斎 宗渭が所持していたと記述されている。


【4号刀】
姿形は慶長新刀の短刀姿ですが刃長が1尺を超えている。寸伸び短刀である。
すなわち身幅広く重ね厚く寸が伸びている。
慶長期には片切刃、冠落などいろいろな短刀が作られた。この寸伸び短 刀は國廣の来国光写しである。
幅広で鎺元から水かげが出て、そこから映りを出している。刃紋は浅いのたれに互の目があり、地金は大板目で地沸え、地景が入りザングリとした肌となっている。
國廣は様々な写し物とやっている。貞宗写し直江志津写し、正宗写しなど。國廣の堀川打ちはいろいろな作風があり、代作が多い。堀川物で直刃から出羽大掾国路の札があった良い観方である。
また同じく堀川物で直刃から平安城弘幸の札もありました。


【5号刀】
姿から新々刀の担当である。沸出来の柾目の直刃から月山貞一、水戸の勝村徳勝の札があった。
大慶直胤にも天保5,6,7年頃に沸出来の直刃はある。仙台国包や会津兼定の札もあったが、彼らの作品にはこれほど、沸えがつかない。
左行秀は清水久義の弟子であり、清水義久は細川正義の弟子。この三名は繋がっており、いずれも直刃をやっている。
清磨に次いでうまいのが左行秀で、新々刀には水心子や直胤もいるが、左行秀は名工である。
左行秀の銘は同年同月日でも鏨の使い方が違うので偽物が多く注意を要する。

【執筆:塾生・川端友二】

所感
助次を拝見して「ちりめん肌」の呼称はちりめん織りが連想され、ポンポンと表れている黒澄んだ肌を「澄肌」と呼称し、刀剣学は文学的に豊かな言語が使われています。実見された塾生は特徴を理解し正解でした。
古青江の特徴が顕著に現れた名品です。

【執筆:霜華塾代表・山田】

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2024/2/4 霜華塾 霜華塾についてはこちら
春の光を感じ、暖かな立春を迎えました

令和6年初回の鑑定刀のテーマは「慶長新刀」
特徴(3つポイント)
・慶長新刀の姿は、南北朝期の摺り上げた姿
・長さは2尺4寸~5寸ほど
・切っ先延びる。

◇鑑定刀
1号刀 国広 重要刀剣
2号刀 以南蛮鉄於駿州越前康継
特別重要刀剣
3号刀 丹波守吉道
為内藤九郎右衛門代々
特別重要刀剣
4号刀 脇指 肥前国住人忠吉作
5号刀 脇指 近江大掾藤原忠廣
延宝二年八月日

 


◇先生の解説等
【1号刀】
国広、慶長15年頃の作。
康綱と地金が似ているところあり、康継の黒味のざんぐり肌との違い。


【2号刀】
徳川家康からの偏諱「康」を賜った於駿州越前康継は家康が子(徳川頼宣)に与えるために作らせた
地金はざんぐり肌ではなく、美しく刃が冴えていた。寸法も尋常ではなく、二尺七寸と徳川家の注文サイズは豪壮でした。
なお、浅くのたれ調に互の目、尖り刃交じり足よく入り鎬地に柾目は美濃物を感じるところあり


【3号刀】
(初代)丹波守吉道の簾刃は顕著ではなく、荒沸えが強く、二代三代とは違いました。


【4号刀】
肥前国住人忠吉作の特徴が少なく、多様な作が多い刀匠は大和手掻なども写している。
鑑定刀は反りが深く、鎬地高く、浅いのたれを焼いている。元和5年ごろの作。


【5号刀】
近江大掾藤原忠廣は皆さん1の札「当たり」。

まとめ
歴史からみて、江戸時代から藩業が盛んになり、刀・陶磁器の献上品が生産され、海外との貿易から学び、越前では南蛮鉄を取り入れた康綱には初代福井藩主・松平秀康(家康の次男。2代将軍の兄)のお抱え鍛冶であったと伝わる。
同じく、肥前国では佐賀藩主鍋島公は刀(肥前刀)、陶磁器(鍋島焼・伊万里焼・柿右衛門様式・古九谷様式)から藩主の先見と力量が美術工芸品からも見て取れます。

幅広く鑑賞する事により豊かな感性が育っていくと考えています。

【執筆:霜華塾代表・山田】

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