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霜華塾 新着情報

2021/11/14 霜華塾 霜華塾についてはこちら

◇鑑定刀
1号 短刀 銘 平安城住國路
慶長七年吉日
 
2号 短刀 銘 以南蛮鐵越前康継  
3号 銘 山浦環正行造之
天保十二年八月吉日
 
4号 銘 源正行
天保十五年八月日
5号 固山宗兵衛尉宗次作之
天保七年八月日
同年十一月十三日於千住誠
二ッ胴太々土壇場伐手伊賀采重
 
6号 太刀
(参考刀)
銘 大摺り上げ無銘

1号刀と2号刀について:
これらは寸伸び短刀で、慶長新刀の短刀の姿を理解するために出題。
慶長新刀の短刀にはいろいろな姿があり、幅広で一尺、反りのない大振りのものや、一尺から一尺二寸程度で幅広で反りのわずかにあるもの、冠落し、薙刀風のものなどいろいろな姿のものがある。
1号刀と2号刀は比較するために出題された。

 

【1号刀】出羽大掾国路の短刀。
姿 :身幅広く重ねが厚めで、長さ一尺を越えて反りがわずかある。天正頃の末関物には先反りがあり、ひっくり返ったような姿のものがあるが、末関物なら、1号刀より、もう少し先 反りがあって、フクラが枯れる。フクラの枯れが天正期程ではない。これが慶長新刀の短刀の姿であることを覚えておくこと。
帽子 :三品風の帽子。国路も三品との関係があったのと考える。
地肌 :大板目肌に地沸えがあり、地景が入る堀川風のザングリとした肌。出羽大掾は長命故に近江大掾忠広に次いで新刀期では二番目に作品の多い刀工。代作、代銘が多い。

 

【2号刀】
越前康継の短刀である。2号刀の刃紋は、浅いのたれの中に足が入り、刃縁に砂流しと叢沸えがつく通常の康継の刃紋とは少し異なり、鑑定が難しい短刀である。
肌 :地金を見ると、いわゆる越前肌でカス立ち、南蛮鉄を使用しているため黒い地斑が出ている。
帽子 :三品風の変形のように見える。康継は国路と共に、慶長新刀では三品一派の影響を受けたと思われる刀工の一人である。

この短刀に兼若や繁慶の札があった。肌立つところから繁慶とみた人があったが、繁慶は短刀が少なく、沸え出来で、金筋砂流しがあるはずである。
鎬地に柾目肌が出て、板目が流れ、帽子が三品風であるところが康継である。

【3号刀】
11月14日は清磨の命日であるという事で、3号刀と4号刀は出題された。天保十二年萩打ちの刀で、清磨29歳の時の作品。
姿 :注文打ちで長寸、反りがあり、重ねも厚く重たい健全な刀である。
天保、弘化、嘉永年間のいわゆる復古刀は反りがある。
肌 :板目が流れ、刃中に金筋があり、金筋が砂流しのように長い。

【4号刀】
清磨の天保十五年の作品。その頃清磨は萩から小諸に戻っていた、いわゆる小諸打ちの刀である。肌と波紋:板目が流れ、備前伝の丁子の中に沸えが絡んで、刃中にしきりに金筋、砂流しがかかる。
姿 :長寸で腰反り、フクラが枯れて鋭利な造り。
天保年間には3尺を越える長い刀が長州や作州津山で流行った。細川正義にも3尺を越える刀がある。

【5号刀】
固山宗次の天保七年、34歳の時の作品。天保年間が固山宗次の最盛期でありいい作品が集中している。
見どころは地金がきれいで、刃紋は丁子主体となっている。宗次は長運斎綱俊に習ったと言われている。
帽子は乱れ込んで先が尖った宗次帽子である。
典型的な天保年間の新々刀の姿である。

【6号刀】
大摺り上げ無銘の参考刀。
鎬地が高く地肌が正目が目立つところから大和物と見た人が多く、有俊の札があった。
二重刃風の飛び焼があり、綾小路あるいは古備前とも考えられる。

【執筆:塾生・川端友二】
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2021/07/18 霜華塾 霜華塾についてはこちら

コロナ休止から7か月ぶり、コロナワクチン接種を済ませた方が大半を占め、 オリンピックがはじまる前時期に第四回開催ができました。

◇鑑定刀
1号 太刀 大磨り上げ無銘
(本阿弥光忠窮め、
備前長船光忠折紙付き)
 
2号 太刀 切り付け銘
備州長船兼光文和
元年二月日
 
3号 太刀 銘 備州長船倫光  
4号 太刀 銘 備州長船基光
5号 太刀 銘 備州長船”□”光
(伝政光)
 

【1号刀】特別重要刀剣
姿 :猪首切先で身幅があり、たっぷりと平肉のついた豪雄な鎌倉中期の太刀姿。
波紋:小沸出来、頭の揃った丁子乱れで蛙子丁子もまざる。刃中に細かな金筋、砂流しや匂足が盛んに入り、乱れ映り鮮明に立つ。
※姿が京物に近い輪反りになっていて、頭が揃った波紋で小沸出来、備前物にしては地金がいいために二字國俊の札があった。味方としてはいい札。二字國俊ならもう少し沸えが強く、棟焼きと京逆足が混じってもいいはずである。光忠は備前物としては地金がいいという事を覚えておく必要がある。
※長光ならば、もう少し蛙子丁子が混ざり、この時代なら物打ち当たりが寂しくなるはずである。
※華やかな丁子の波紋から、一文字の札もあったが、一文字なら焼き幅の高低がもう少し出てもいいはずである。
※信長は光忠の太刀を三十数振り集めたと記録があるが、この刀はそのうちの一振りであろう。本太刀に金100枚の本阿弥光忠折紙が付随する.

【2号刀】重要刀剣
姿:幅広で元先の差がなく切先が大きく伸び、反りは頃合いの南北朝延文・貞治の姿。
銘:裏銘に『天野宮内右衛門尉五寸八分磨り上げ』の切り付け銘があり、もとは2尺8寸から3尺の長大な太刀であったと思われる。
波紋:大板目に杢目が混ざり乱れ映り鮮明に立つ。樋先が下がっているのも南北朝期の特長。
※大宮盛景や長義の札があったが、切先の波紋ロウソク帽子になっているので兼光系である。

【3号刀】特別重要刀剣
姿:身幅広く元先の差あまりなく、大切先で先へも反り加わる。
波紋:華やかな丁子乱れで、乱れ映り鮮明に立つ。
彫物:表裏に棒樋。その下に表は梵字と倶利伽羅、裏は梵字に素剣。
※倫光の波紋は通常、浅いのたれと本に書かれてあるが、それは短刀に多く、太刀の在銘では丁子のものがある。どことなく逆がかった丁子で登り竜の彫物などが倫光の特長であることを押さえておく必要がある。

【4号刀】
姿:長寸で切先は大きく伸びていないが、よく見ると南北朝の延文・貞治を少し下った頃の姿である。樋は下がっている。オリジナルは2尺7寸から8寸あったと思われる。
波紋:片落ち互の目が目立ち、地金が肌立ち心になっているが乱れ映りはよく出ている。匂口が明るく、金筋砂流しがさかんに入り、片落ち互の目が目立つ点が兼光系に見えるが、兼光にしては、波紋がこずみ心である点が基光の特長である。

【5号刀】重要刀剣
姿:南北朝末期の、至徳から明徳頃の姿。応永備前に近く、小反りの体配である。細身であるが平肉は残っている。
波紋:波紋がこずんでいて、片落ち互の目と腰開き後の目が混ざり、焼頭が匂で尖っている。この点が政光の特長である。
※康光、師光、子反りの札があった。(康光も刃は煙込んで尖る。)乱れ映りが立っている。応永備前では杢目が目立ち、杢目と杢目の間が流れており、棒映りのはずである。
※勝光、則光の札があったが鎬地を盗んでいるはずである。
※関物も尖り刃であるが、焼で尖っているのに対して、政光は煙込んで尖っている。関物は焼の谷が刃先に抜けているが、政光は焼の谷が刃先にかかることはない。

【執筆:塾生・川端友二】

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