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美濃の刀匠と歴史
関鍛治七流は徳川家康の時代から
天文3年生まれの若狭守氏房の添書に、「前略・・・藤原氏之祖神、春日大明神為鍛治之氏神故継藤原之氏於此社自往古毎年正月28日有神事能七流之鍛治勤之・・・」とある。
美濃鍛治中興の祖と言われる関七流の起源が室町時代にあると言われているが、又、これも問題の1つである。

[ 善定兼吉、他数人 ] [ 三阿弥兼高、他数人 ] [ 奈良兼常、他数人 ] [ 得印兼久、他数人 ] [ 徳永兼信、他数人 ]
[ 良賢兼船、他数人 ] [ 室屋兼在、他数人 ] など

上記、銘の関七流の起源が室町時代に切った物が現在までには、経眼したことがない。おそらくこれについては、現在迄の刀の鑑定上から考えると江戸初期頃から、或は、寛文新刀と思われる物がある。
(美濃鍛治七流の起源は江戸時代からと思います。)

新刀期に諸国大名に抱えられ、他国で関七流と切った物を拝見した事があります。
おそらく、出身地を誇りに思い、銘を切ったことでしょう。

美濃は、第一期は兼氏・金重、第二期は兼定・兼元と美濃は繁栄した。

室町末期戦国時代が終り、時代が変わると共に、刀匠は諸国大名に抱えられ、美濃鍛治は衰退する。

これにより、関鍛治中興の祖と言われる美濃鍛治七流は、江戸時代から発起し衰退に刃止めをかけたと考える。

愛刀家の皆様に、お尋ね申し上げます。
美濃鍛治七流一派 [〇善定・〇三阿弥・〇奈良・〇得印・〇徳永・〇良賢・〇室屋]
慶長以前の七流一派に刀匠銘の切った刀剣を拝見したとこがある方、また、所持している方、是非とも情報をいただけたらと思います。
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織田信長・豊臣秀吉は能の愛好家
戦国時代から桃山期の能楽は、応仁の乱以降の幕府の弱体化や寺社の衰退期。
武将では織田信長は、能に対して好意的だったことが、豊臣秀吉は、ことのほか愛好家だったらしく、自らも好んで舞ったようだ。

この時期、豪華絢爛の桃山文化の装束も一段と豪奢になった。
関市、春日神社・所持の雪持柳揚羽蝶文「国指定重要文化財」は、この時期の作。
関市・春日神社の能を刀匠が舞ったではないかと長年伝えられてきたがそうではないと考える。

現在、縫箔 雪持柳揚羽蝶文「国指定重要文化財」の装束を身にまとい、関市春日神社での、能の舞は、能役者が舞ったと考える。(大島家お抱えの能役者が舞う)

それには、多くの「座」のうちから大和四座に扶持を与えることを定めました。
以来、能役者は、社寺の手を離れて武家の支配を受けるようになる。

徳川家康も秀吉の制度を踏襲し、知行や配当米、扶持などを役者に与えて能を保護しました。
武家が能役者を支配し抱えていたと思われる。

能の源流は、奈良時代までさかのぼり、大陸から渡ってきた芸能です。
鎌倉中期頃には猿楽の集団も寺社公認のもと「座」の体制を組む南北朝の頃は、大和猿楽と近江猿楽があらわれてきます。大和猿楽は、猿楽四座は(観世・金春・金剛・宝生座)のうち名手、観阿弥を生みました。

室町後期には「手猿楽」と呼ばれる素人出身の能役者が、京都などで大いに活躍しました。謡曲を能から離れて謡ういわゆる「謡」が流行したのもこの時期からで、能が町人階層にも広く愛好されていた。
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能面
桃山文化は、豪壮な能舞台の様式が確立され、装束も一段と豪奢になったほか、能面作者にも名手が輩出し現在使われている能面の型がほぼ出揃いました。

現在、春日神社の能面・狂言面ほか61点あります。時代は、室町・桃山・江戸時代ものまである。

「若女」に小面写、永和2年(1376)年三月日金春元安(花押)記念銘の中で、日本最古の物と云われている。
「笑尉」(わらいじょう)は彫銘「一トウ作」とあり、室町時代の有名、彫刻師の名が見られる。

狂言面「乙(おと)」他と比較すると古様で素朴な作。わが国の仮面様式研究の貴重な資料と言われている。
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