郷土に生まれて育ち現在に至り、幼い時から 春日神社と関の文化との関わりを持ち続けて育って参りました。
長年に至り、刀剣専門家として経験を生かし、美濃関市の歴史・文化、並びに、刀剣に関しての持論を述べさせていただきます。
残念な事に、現在は公共団体・役所は政教分離などのたてまえにて無関心である。
今日ここまで発展した事は、刀剣を基に春日神社を崇拝して来た先祖にあると思います。近年発起された祭りなどには、速、利益に結びつくことは敏感に察し、この時ばかりは、肩書きを変えて神事に参加しているのに、昔からの神事には参加していない。
このような事に、私は大変憤り感じています。イベントとお祭りとは違う、考え間違いをしている。そもそも、祭りとは、神霊を敬い、崇め、感謝の意を表し催する行事です。
それを怠るような祭りでは、イベントです。
また、文化芸術においても、公共の立場を利用して日頃、政教分離を唱えていながら、文化芸術などを公共施設内にて展示し「国指定重要文化財」(春日神社所有)の物を展示し、管理がずさんである。
文化芸術、「国指定重要文化財」をどのように、見ているか?
現代の作家の絵などを、関市とは関係ないと見てよい物を、多額の費用をかけて、展示室まで作る。
文化芸術に無関心が、このような形で現れる。ちなみに、絵画・円空などは、借り物です。長年、文化を継承することは、皆様のご努力とご理解が必要です。
日本は神の国と言うことは普遍的なことですが、一部には、別な考えのお持ちの方もみえると思いますが、日本人は、オギャと生まれては、お宮参り、七五三、初詣、お祭り、スポーツにおいても必勝祈願など、身近に自然に関りをもってきました。
神とは、権力者の象徴ではなく、愛と知恵と安心をあたえ自然に感謝することを教えを戴いていると考えています。 基本に戻ることが大切と言えよう。現在の教育にもいえることでしょうか。
さて、私の氏神様こと、春日神社の春には大祭があります。
本殿の前にて、御歌(吉野山)を御神楽が刀(真剣)を持ち奉納舞いをする。
現在、神楽の御歌「吉野山」を少なくとも、明治時代から正確に解釈されてこなかったことなどが、一人一人が、歴史を正しく理解する事が、文化継承の根本と思いまして、自治会氏子の責任者としても、春日神社と関市の歴史・文化に感謝と愛情を持ち続けていきます。これからも、希望と気概を持って貢献に尽くして参ります。
この後、続いて【美濃刀匠と歴史と文化】について【持論】を述べさせて戴きます。
※ 全国の市町村の神社には必ず、剣、刀まどが古来から現在までに奉納者が多い。
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