節分の日、令和7年第1回霜華塾開催
1号刀 太刀:銘 守次(古青江)
2号刀 太刀:銘 助次(青江)
3号刀 太刀:銘 助国
4号刀 短刀:銘 備州長船兼光 裏年紀:弘安元年八月日
5号刀 脇指:銘 奥大和守平朝臣元平興 弟元武造之
裏年紀:寛政九巳春
講師の解説
【1号刀】
この刀の見所として、まず姿形が鎌倉中期の猪首切先となっている点があげられる。また鎺元で倒れるように反る青江の特長が出ている。腰反りが強いのが青江の特長。地肌には例の青江の澄肌と呼ばれる異鉄が見られ、物打ち付近の誉れキズ附近には雲のいわたと呼ばれる刃紋が確認できる。2号刀よりも小沸えが少しついている
【2号刀】
猪首切先で、踏ん張りがある鎌倉中期の小太刀。澄肌があり小沸え出来の中直刃故鎌倉中期の青江と考えられる。
【3号刀】
3号刀は助国の太刀である。元先の差が少なく、鎌倉末期の太刀姿。よく見ると地金に地映りが盛んに出ており、刃の上に地斑映りが立っている。地斑映りについては、鎬地を越えるようなものは鎌倉初期を下らないということを覚えておくこと。
【4号刀】
身幅が狭く小ぶりであるが、重ねが薄い先反りのある南北朝期の中頃の短刀姿。南北朝期にはこのような小ぶりの短刀もあり、刀工としては、長義と兼光、左文字、兼氏などがいる。南北朝期で片落ち具の目の刃紋から、政光、元重の札がありました。悪い見方ではありませんが、元重の場合は片落ち互の目が景光や兼光と比べヤヤ浅い。この短刀には棒映りが立っているが、この棒映りの出始めは兼光からであるということを覚えておくこと。棒映りが焼頭付近に出るのは応永備前である。
【5号刀】
奥元平とその弟元武合作の脇指である。姿形で迷い、慶長新刀と見た方が多かった。元先の幅が少なく切先が伸びて反りが少ない、寛永頃の刀工出羽大掾の札がありました。金が綺麗で姿より親國貞の札もありました。国路ならこのように綺麗な地金とはならず、ザングリとした肌となる。焼出しがあり、沸え出来の互の目乱れから親國貞の札があり、いい見方です。殆どの方が、新々刀と見て清磨一派の信秀、清人の札がありました。信秀なら互の目に丁子が主体のはずで板目が流れる。清人なら防止の帰りに砂流しがあるはずである。
肌が綺麗で焼出しがあり濤欄風にも見えるところから水心子の札がありました。悪くない札ですがこの姿は少ない。長めの焼きだしがあり、物打ちあたりに沸えがムラにつく濤欄風で、芋づる風の金筋がこの脇指には見られないが、刃紋の中に釣り針風の金筋があるということから理詰めで考えると薩摩の新々刀となる。元平と正幸が考えられるが、正幸は肌もので地金が劣る、大板目肌となる。薩摩肌は一般に地金が黒っぽいがこの脇指には地景風の黒いところがみられる。
【執筆:塾生・川端友二】
所感
時代・国・作者よる地刃には色々なはたらきがあります。
古青江の地には「澄肌」「ちりめん肌」が古青江の特徴であります。
だが、実際に見分が出来るようになるにはお手本となる物を見ないとお勉強になりません。
1号は理解するにおいてお手本そのものの名品でした。
【執筆:霜華塾代表・山田】