孫六兼元 木曽海道六十九次の内「赤坂」にて鍛刀

広重画の「赤坂」の絵は抗瀬川(くいせがわ)にかかる赤坂大橋を渡る人々の図です。
「赤坂」は、杭瀬川を下流に、揖斐川水系の川岸に発達した宿場で、赤坂湊による舟運は重要な拠点であった

初代兼元、二代孫六兼元は赤坂で鍛刀をしています。
下記は二代の作刀です。
濃州赤坂兼元作  大永3年2月日  1523年
兼元作      大永七年二月日 1527年
濃州赤坂兼元作  享禄二年八月日 1529年
注意:二代兼元を有名な孫六兼元と言う

孫六兼元は晩年、美濃関に移住したと云われています。
兼元は兼音と兄弟であると伝え、兼音、「濃州関住兼音 文明十九年二月日」(1487年)
と明確に刻字した作がある。兼元は関から赤坂へという説もあります。
濃州関住兼音 文明十九年二月日 ←詳しくはこちらから

関市には支流が合流して長良川が流れ、木曽川、揖斐川とともに濃尾平野を流れる木曽三川のひとつです。
三重県長島町で揖斐川と合流して伊勢湾に注いでいます。


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