2023年06月23日
6月20日ー関市立富野中学に訪問
太刀(兼縄作(花押) 斎藤宗祐所持之)を携えて
周りには青々した山が連ね、自然がいっぱいの中に広いグランド
と校舎がありました。校長先生は長身でハンサムで太刀を持った
姿はカッコよかったー。
先生は皆若く、持った感想は「重い!」 でした。
守護代 斎藤宗祐の本城山城(小野城)の梺にある富野中学、
全在籍数48人に太刀を見ていただきました。
宗祐殿は約500年経って里帰り。
利発で可愛い皆に会えて喜んでいると思う
皆さん、関心度が高く真剣に太刀の事、
見聞していただき有難う!
いつか、皆と太刀:宗祐さんと一緒に本城山に登りたいです。
きっと一時間前に登っていても追い越されてしまうと思う(笑)
貴重な時間を与えてくれてありがとうございました。
投稿者 kasugado : 15:50 | コメント (0) | トラックバック
中日新聞 中濃版 大きく掲載
2023年6月11日
斎藤宗祐の太刀 関で発見
戦国時代 本城山にあった小野城の城主
太刀と鑑定書の画像掲載
存在裏付ける 証拠 「地元活性化に役立てれば」
投稿者 kasugado : 15:44 | コメント (0) | トラックバック
2023年02月02日
斎藤宗祐の遺品の説明会
令和5年1月22日 霜華塾開催時にて当講師より、ふれあいセンターの方々(調査隊)に斎藤宗祐の遺品である太刀、兼縄(花押)斎藤宗祐所持之(特別保存刀剣鑑定書)の説明の機会を設けました。
富加ふれあいセンターから予め2点の質問内容については下記のとおり
1、なぜ、室町時代の美濃物と分かるのか?
2、「兼縄」と「斎藤宗祐所持之」の書体が違うように見えるが、表裏の銘は制作された同時に切られたものではなく、斎藤宗祐所持之については後代(かなり下る)に切られ たものでないのか?
所見
1・刀剣の鑑定技術(知識)は室町時代から始まり、現在に至り五ヶ伝の鑑定学は確立している。 美濃伝の特徴は、棒映り立ち、板目流れ、刃文は尖互の目得意とし、鎬地柾流れ、匂いできであるところが特徴である。この太刀も上記と同じ作である。審査の結果、兼縄(花押)斎藤宗祐所持之として鑑定し特別保存刀剣と証している。
2・当時は刀が支流であるが、太刀としての注文打ちであり、宗 祐には特別な意味の品であった事が分かる。書体は異なるが鏨から制作同時に切られたと見ても無理でない。また、兼縄は磨り上げられていることから、宗祐没後に家臣、親族らが受け継ぎ、下賜され後、短く磨り上げられ、宗祐の大切な所持品ある事から銘を入れたとも考えられる。
茎の錆の状態から磨り上げは没後(宗裕(1542)天文十一年5月7日病死)から10年後程(天文末〜弘治)に行われていると見る。
見解
現在 斎藤宗祐について関市ふれあいセンターの関係者の皆様により調査が行われておりす。
これまで約4年の歳月に渡り各寺社や名家の古文書からようやく本城山(小野城)の城主であったことがほぼ確定できる状況までになりましたが、まだ初期の段階です。
そうした中、初めて唯一の遺品「太刀、兼縄(花押)斎藤宗祐所持之」が発見により開示され、 しかも日本美術刀剣保存協会より特別保存刀剣と証されていることから正真正銘な証拠となり、それはこれまでの調査の裏付けとなる貴重な資料(材料)となりまし
た。私としましては、これをもって更なる発展・展開に繋げていくためには、是非ふれあいセンターの方々に「刀剣から歴史を学ぶ」重要性を知っていただくことに期待します。
さらなる発展 関市と斎藤宗祐 当時の美濃関の情勢 刀と武将など ありとあらゆる 考えられることを想定し時の状況を探る必要性を重んずる。
投稿者 kasugado : 10:50 | コメント (0) | トラックバック
2022年12月24日
斉藤宗祐の講演を終えて
12月11日(日)ふれあいセンターにて,
小野城、斎藤宗祐の調査の講演が行われました。会場は60人ほど来場されました。
刀剣からの視点
講演後、太刀、兼縄作 花押 斎藤宗祐所持之の公表により、刀剣の視点から斎藤宗祐を語る場を与えていただきました事に感謝致しします。
美濃関の歴史は、戦国時代は特に、研究するには刀剣から学び、その情報は欠かせない重要な事と認識していただければと思いました。
講演
お城の考古学を専門とする歴史家の調査した古文書についての進捗状況のお話が中心でした。
主に斎藤宗祐の名称が「宗雄」「玄佐」「宗祐(法名)」とする、また「宗」の文字が、ある歴史家の眼には「玄」に見え断言されたことについての反論めいた内容に時間を費やすばかりであり、主旨から外れ、発展性のない期待外れの報告会で終わりました。
感想
唯一の証拠たる刀「太刀 兼縄作 花押 斎藤宗祐所持之(特別保存刀剣鑑定書、説明書)」生存していた時にの重要な資料(事前に提出済)を提供したにも関わらず、それについては何も語ることもなく違和感を持ってしまいました。
言い伝えによる記述さらた(古文書)に専門家する解釈は事実と相違していた事が太刀の存在から明らかになった。
この美濃国において、この太刀から垣間見えるヒントとされる材料が何箇所あるのですがそれに気づかないのか?知ろうとしないのか?
刀剣に対する認識が全くなかった。 残念!
おそらくあの世で斎藤宗祐武将はさぞかし残念な思いをしているのではと思いました。~~*~~*~~*
今後の方針
従いまして、今後の方針としまして斎藤宗祐の研究は研究熱心な方々と共に活動をしていこうと考えています。
>>> その進捗報告は逐次 このブログにて報告していきます。
投稿者 kasugado : 15:33 | コメント (0) | トラックバック
2022年10月16日
地元に「斎藤宗祐 所持之」の太刀現存伝える
車を走らせていると、目にする「富野ふれあいセンター」に立てている旗、「本城山(小野城)」がいつも気になつていましたので8月20日ごろに立ち寄りました。
斎藤宗裕のことについて学びたいと申し出ました。
すると、事務所から資料でしたら、展示してありますからご自由にお取りくださいと親切な対応でした。そこには本城山登山マップがあり登山する方々を募っていました。
無言、、、、、お仕事に励んでしました
肝心な大事なお話を伝えていない事から
あのー、「(小野城・本城山城)城主は
江戸時代から現代の資料から、
守護代斎藤の居城と考えられている」と
案内板に記してありましたが、考えられ
ているのではなく、実在している。
城主、斎藤宗祐です!とお伝えました。
斎藤宗祐所持の太刀が現存しています!!!!!
としてお伝えした
すると驚いた様子でした。
ほんとですか?、本物ですか?
尋ねられました。
本物ですと答えた
是非、拝見したいと申し出がありました。
歴史遺産を守る地元の方々(富野ふれあいまちづくり委員会)は熱心でした。少数と思われるが、熱意と努力に嬉しく思いました。
このようにして、正しい歴史が遺産として後世に伝え、守られていくのですね。
随時、附載いたします
投稿者 kasugado : 19:57 | コメント (0) | トラックバック
2022年10月15日
関市、本城山城「城主:斎藤宗祐」
本城山城[海抜423mの大きな山]の城主「斎藤宗祐・さいとう そうゆう」
と、伝えられているとされてきました。
ところが斎藤宗祐が注文打ち太刀の存在により「銘:兼縄 (花押)
斎藤宗祐所持之」制作年期、永正(1505)から天文(1554)ごろ。
長さ:2尺3寸。の存在により、斎藤宗祐は本城山城、城主である事が
明確になりました。
菩提寺
岐阜県関市神野3030
臨済宗・妙心寺派:霊松寺です。
※これかも随時付載します。